

天龍寺の歴史は五百七十余年前、開山春屋宗能和尚によって開かれた静岡・掛川の法泉寺に遡ります。その法泉寺七世の心翁永伝和尚の実父は、戦国の武将・戸塚五郎太夫忠春。その娘が徳川家康の側室で二代将軍秀忠の生母であるお愛の方(西郷の局、宝台院)なのです。
| 寺院・霊園名 | 護本山 天龍寺 |
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| 宗派 | 曹洞宗 |
| 住所 | 〒160-0022 東京都新宿区新宿4-3-19 地図 |
| 交通案内 | □(平成20年6月開通予定) 地下鉄副都心線「新宿3丁目駅」隣接 □JR新宿駅東南口下車 徒歩3分 □東京メトロ丸の内線/都営新宿線 「新宿3丁目」下車 徒歩3分 |
| 墓地・墓所の価格 |
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| オプション情報 |
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天龍寺は“時の鐘”のお寺として、古くから江戸の人々に親しまれてきました。この鐘は、上野寛永寺、市ヶ谷八幡の鐘とともに江戸の三名鐘とうたわれています。宿場として栄えた内藤新宿で、夜通し遊興する人々を追い出す合図になっていたことから、別名を“追い出しの鐘”とも言われていました。また、当時この近辺に住んでいた武士たちは江戸城まで登城するのに時間がかかったので、その都合を考えて時刻を三十分早く撞いたといいます。

戸塚忠春は天文二十三年、今川義元が武田晴信を援けて、北条氏康と戦った時、今川方として出陣し、刈屋川の一戦で討死します。 家康はその死を悼み、陣中でその法名である「西月友船大禅定門」の位牌を小刀で彫りました。これは現在も天龍寺開山堂に“家康鉈彫位牌”として祀られています。

位牌堂

位牌堂天上

家康は江戸入城した翌年の天正十九年、法泉寺を江戸に移し、寺名も天龍川にちなんで天龍寺と改め、お愛の方とその父、忠春公を供養する菩提寺としました。最初の寺地は牛込納戸町の三万六千坪でしたが、天和三年の大火で類焼したので、現在地へ移転しました。
寺格は十万石特遇、乗興御独礼の高い格式が与えられ、江戸城表鬼門鎮護の寛永寺に対し、天龍寺は裏鬼門鎮護の寺として、その威を大いにふるったといいます。
寺紋も徳川家とおなじ三つ葉葵ということからもうかがえるように、徳川家による外護の力は特筆すべきものがありますが、今日まで天龍寺を護り育んできた力は、ご開山の教えにある師檀和合の精神にあるといえましょう。

大名時計

地蔵菩薩像


